自己矛盾ターコイズ

徒然なるままに。本を読みます。

『傲慢と善良』を読んだ

人は皆、無意識のうちに傲慢であると思う。それでいて、誰しもが善良な部分を併せ持つ。

『傲慢と善良』は二人の男女、架(かける)と真実(まみ)の恋愛、というよりはむしろ婚活に焦点を当てた謂わば婚活ミステリーである。これは恋愛小説ではないと言ってよい。まるで人生の指南書を物語に書き起こしたような作品であると感じられた。

 

私自身は25歳になったばかりの理系大学院生であり、結婚はまだまだ先のことであると考えている。若かりし頃の架のように。一方で、女性からすれば、多くの人がそろそろ結婚を視野に入れる年齢であるのだろう(ひょっとするともう遅いと感じる人もいるかもしれない)。

 

私は中学までは田舎の公立中学に通い、高校で初めて受験をして地元の進学校に進学し、大学進学と同時に上京した。この時代においてはSNSを通じて、気軽に中学時代のクラスメイトと繋がることができてしまう。もう何年も会っていない、それでも流れてくるInstagramのストーリーズや投稿を見ては近況を知ることになる。誰の結婚式にも呼ばれたことはないが、多くの中学時代のクラスメイトがすでに結婚して、中には子供までいることを知っている(ちょうど今日も知り合いが結婚したことをSNSを見て知った)。まるで、小説の中で出てきたショッピングモールで架が感じたようなことを、身をもって知っているのである。このことは田舎から都会に出てきた私のような人には共感してもらえることと思う。

 

一方で真実は、束縛が強く、子離れできていない親からの自立を目指した。これも実体験としてよくわかることで、私も大学生の頃から始めた一人暮らしで、できるだけ自立したいと思っていた。私の場合はどちらかといえば真実の姉である希実と同じで大学から家を出ているのだが、もしも家を出ずに地元の大学に進学していたら真実のようになっていたかもしれない。

 

架は若い頃からモテていた側の人間であり、タイミングが悪く結婚が遅れただけで、いくらでも結婚する気さえあれば出来た人間であろう。そういう意味では、共感しづらい読者も多いのではないか。私自信もモテた経験は一度もない。むしろ非モテこそ傲慢さが少ないように思える。しかし、著者は真実を非モテの女性として描いている。その真実の傲慢さがどこからくるのだろうか。それは、実家がある程度裕福であり、母親に洗脳された価値観によるプライドではないか。つまり、ここまでの人生で全てを失敗しているわけではないような、しかしモテていたわけではないという人間も恋愛・婚活において傲慢になってしまうらしい。

婚活と就活は似ている。「選択肢を広げるために勉強して高学歴を目指しなさい」と言われて勉強をさせられている高校生は多いだろう。そして高学歴を手に入れた学生はいつの間にか「せっかく東大に入ったのだからいい企業に行きたい、高収入になりたい、エリートになりたい」と言う。自分の傲慢さのために選択肢が狭まっているのである。たとえば本が好きだから出版業界に務めたいとする。しかし、(実際のところは知らないが)給与が少ない・ブラックだというような理由で断念し、自分は高学歴だからと言って総合商社や外資系コンサルを狙うようになってしまう。傲慢である。婚活においても、無意識の自己愛の高さから、どんなに良い相手であってもピンとこない。何か悪い部分、断る理由を見つけ出してしまう。結果的に婚活がうまくいかないことになってしまう。100点の相手など、滅多に現れないし、自分の点数を高く見積りすぎないように傲慢な部分を捨てなければならないということなのだろう。

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